20200312

代謝系のミクロ経済学/必須代謝物の漏出による細胞の成長促進

山岸 純平 氏

東京大学 大学院総合文化研究科 広域科学専攻

【要旨】

 本セミナーでは、代謝系に関する我々の理論研究の、現時点での成果と今後の方向性について話したい。

 前半では、ミクロ経済学の枠組みを細胞内代謝系の振る舞いに適用するという試み[1]をとりあげる。
 細胞内代謝系は、成長率やバイオマス生成速度を最大化するように、進化を通して最適化されていると考えられている。実際、flux balance analysisを中心としたconstraint-based modelingにおいて、最適化の仮定の下、様々な環境下での代謝系の振る舞いが予測・実証されたきた。一方、ミクロ経済学は、経済主体が利益を最大化するという仮定の下でその振る舞いを議論するための体系である。したがって、最適化問題としての素朴なアナロジーから、ミクロ経済学は代謝系の理解のために応用できると考えられる。
 ここでは具体例として、生物学における「オーバフロー代謝」と経済学における「ギッフェン財」に注目する。オーバーフロー代謝とは、呼吸よりATP生成効率の劣る発酵や嫌気性呼吸を酸素存在下でも使用するという振る舞いであり、一見不合理に思えるものの、バクテリアから真核単細胞生物、さらにはがん細胞や免疫細胞まで、普遍的に観測される。一方のギッフェン財とは、価格が上がると需要が増えるような財であり、価格が上がると需要が減るという一般の需要法則に反するためにギッフェンのパラドックスとも呼ばれる。
 本セミナーでは、細胞内代謝系の制御をミクロ経済学における消費者選好の理論にマップすることで最適化問題として定式化し、オーバーフロー代謝における呼吸経路とギッフェン財が対応することを示す。このマッピングから、オーバーフロー代謝とギッフェン財を引き起こす普遍的な構造・条件が明らかになる。また、ギッフェン財の性質から、代謝系の薬剤応答について新規な予言が得られる。
 代謝制御の理解のために経済学を用いることの利点や、一般の代謝システムへのミクロ経済学の適用可能性についても議論する予定である。

 後半では「多くの化学反応によって成長する系」としての細胞内代謝系の性質に焦点を当てた研究[2]をとりあげる。
 微生物は栄養成分を取り込んで成長する一方で、たくさんの代謝物を環境中へ漏らしている。単なる毒や細胞成長に不要なゴミだけでなく、細胞成長にとって不可欠な代謝物すらも漏出しているのだが、これは細胞にとって一見不利益でしかない。細胞が必須代謝物を漏らさぬように進化してこなかった理由は未知であった。
 今回我々は、細胞成長を粗視化した力学系モデルについて解析計算と数値計算を用いて調べ、細胞成長に必須な物質の排出によりかえって成長が促進されるメカニズムを明らかにした。これは、定常成長状態において非線形な化学反応群と体積成長に伴う濃度希釈の間のバランスが要請されることの帰結であり、たとえばバイオマス成分の前駆体(アミノ酸など)の漏出によってすら成長率が上昇しうることが示る。ランダムに生成した反応ネットワークの数値計算の結果からは、多くの化学成分からなる複雑な代謝反応ネットワークにおいては、このような漏出がありふれた振る舞いとなることも示唆される。
 また、漏れ出た必須代謝物は他の細胞種にとっても有用であり、漏出代謝物を異なる種の間でやりとりすることで多種共生が可能になると考えられる。時間が許せば、このような形の相利共生の可能性についても議論したい。

[1]Jumpei F. Yamagishi and Tetsuhiro S. Hatakeyama. Microeconomics of
metabolism: Overflow metabolism as Giffen behavior. bioRxiv 613166.
[2]Jumpei F. Yamagishi, Nen Saito, and Kunihiko Kaneko. Advantage of
leakage of essential metabolites for cells. Phys Rev Lett, 124:048101, 2020.

日時: 2020年3月12日(木) 11:00~12:00
場所: 理学部3号館4F 412室
連絡先: 理学系研究科 生物科学専攻 生物情報科学科
黒田 真也(skuroda AT bs.s.u-tokyo.ac.jp)