異分野融合

私たちの研究室の特徴のひとつはなんといっても異分野融合です。私たちのラボのメン
バーになる人には、是非異分野融合を自分で体験をしてもらいたいと思っています。この
点については、かなり自信と実績があります。

異分野融合には、異なる分野の人と議論して、その分野の言葉や価値観を理解すること
が必要です。そのためには、学会や勉強会で時々議論するよりは、ラボ内で四六時中議論
することがてっとりばやいです(特に私のようなものぐさな人間にとっては)。私たちの
研究室ではラボ設立時からこれまでずっと複数の異なる分野出身の人が参加しています。
よく学会に参加するといろんな意見が得られると言いますが、私たちの研究室では学会に
参加するよりもラボ内での方がはるかに多彩な意見が得られます(この点は、ちょっと自
慢です)。言うは易しですが、実際に異分野融合をラボ内で実現するハードルは高いで
す。異なる分野の人を集めるということは、異なる分野の人がポスドクや助教で参加する
ことを意味します。異分野融合の経験がないとなかなかそういった人材を雇用しづらいも
のです。ですから、ここでPIになる前に是非異分野融合を経験しておいてほしいと思いま
す。

異分野融合は、一番最初は誰かひとりの頭の中でしか起きません。異なる分野の専門
家を集めれば議論すればすぐに異分野融合できるというわけではなく(ほとんどの人が勘
違いしていますね、、、)。まずはある一人が異なる分野のことを理解して、その人の頭
の中で分野を融合させるしかありません。しかも、その融合はあるとき突然おきます。こ
の場合、自分にとっての未知の分野について難しいことを理解している必要はなく、その
分野の教科書の1〜3章程度に書いてある、学部生程度の基礎のことを理解していれば十分
です。トーマククーンも「科学革命の構造」で、異分野融合やパラダイムシフトは、専門
家よりむしろ素人のほうがよいと指摘している通りです。私の経験をいくつか例にとって
紹介しましょう。一つ目は、RasとRap1がそれぞれ微分器と積分器としての機能すること
や、AKTが低周波フィルタとして機能することに気付いたことです。この解釈の基礎になっ
ているのは制御工学の周波数応答です。すでに工学部では学部レベルで学ぶ知識で、すで
に戦前にその基礎が確立されています。私が制御工学の基礎を知ったのではATRの川人先生
のラボで学ぶようになった最初の3か月です(1999年)。ところが、シグナル伝達の情報処理
に制御工学の知識が役に立つと気付いたのは2006年で、実に7年も時間がかかっています
(論文としては、Fujita et al. Sci. Signal. 2010が最初)。知ってはいても別々の分野
の知識を結びつけるのはとても難しいことです。まさにコロンブスのたまごです。私の中
で、シグナル伝達が、真の意味のシグナル伝達になった瞬間でした。

これと同様のことは、シグナル伝達に情報理論を持ち込んで解析するときにもおきまし
た。シャノンの情報理論を学んだのも川人先生のラボでしたが、それをシグナル伝達に応
用できるとわかるまでに10年以上かかりました(Uda et al, Science, 2014)。それまで情
報という言葉を正確な定義することなく何度も使ってきましたが、ようやくちゃんとした
形で定義できるようになりました。この仕事での驚きは、単純なシグナルの強度(濃度)
だけで情報が決まっているわけではなく、シグナルのばらつきなども考慮して情報量を計
測すると、外乱に対して情報伝達がロバストに伝達できるということでした。これは細胞
ごとに分子の発現レベルが異なっても、「情報」という観点からは同じように情報を伝達
できるということを示しています。細胞ごとに分子の濃度がばらついていると一見情報を
うまく伝達できないように思いますが、細胞は何かしら細胞ごとのばらつきに補正して
(そのメカニズムはまだ不明)情報をロバストに伝達できるような仕組みを持っているこ
とを意味しています。

以上のように異分野融合には議論が大事です。しかも、とても時間がかかります。しか
しそれを乗り越えてこそ研究の「質」を変えることができます。今後ますます生命科学は
異分野融合が進んでいくことでしょう。ビジネス分野と同じく、一つの分野のみの単純労
働・長時間でかせぐ時代はバイオロジーでも終わりを告げたと言っていいでしょう。